プラスビルのはじまり
プラスビルは、1970年、大阪万博の年に建てられました。
当時は、千日前の方から上町台地を見ると当ビルが見えたそうです。
元々、この地には住宅兼会社の木造2階建て建物がありましたが、
建て替えを行い、鉄筋コンクリートの貸ビル兼マンションにすることになりました。
名前の由来
もとの木造建物では、先代が自転車卸業を経営していましたが、建て替え後はビル内でプラスチック加工会社を経営していました。
そのため、「プラスチック業界と、関係する方々の繁栄と幸福のプラス」を祈念して、「プラスビル PLUS building」と名付けられました。
大阪のまちと共に
先代オーナーが、ビルを建てる際に参考にした大阪市の都市計画のパンフレットです。
同時期に、地下鉄谷町線が開通、近鉄上本町-難波間も延長しており、
谷町九丁目という場所が交通のハブとなる便利な場所となり、これから発展する可能性があることに
先代は目をつけていたのかもしれません。
ビルが建つまで
1969年
千日前通りからみる、建設中のプラスビル。周囲にビルはまったくありません。
1970年
建設中のプラスビル。丸太で足場が組んであります。
すぐ近くの、生国魂神社の夏祭り。子ども神輿が当ビルの表通りを通る様子です。
当ビルも生国魂さんの氏子なのでビルの前を通る時に、お祓いを受けました。
千日前通りから見るプラスビル。外壁が白く塗装されている途中です。
竣工直後のプラスビル
関係業者や入居予定者を招待したお披露目パーティーを開いていました。
住宅の間取りは2DK、畳敷きの部屋でした。
今見るとレトロなエントランスですが、当時は斬新な意匠として人々の目に映ったと思います。
タイルカーペット敷のモデルルームを用意し、ガスセントラルヒーティングや冷房など
当時最新の設備が整ったビルであることをアピールしています。
竣工直後、屋上から見ています。当時はまだハイハイタウンが建っておらず、
当ビルから近鉄百貨店が見えました。よくみると建て替え前の近鉄百貨店であることが分かります。
屋上から西側、谷町九丁目を見下ろす風景。右奥に見えるビルは今でも残る公団です。